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【令和7年6月14日(土)】ヒトを極める為に大脳がある事を肝に銘じましょう。

石﨑 則夫 さんが17日前に追加

本日は、279(日盤九紫火星)・甲寅(きのえとら・こういん・干支51番)・大安・寝待月・三隣亡・なる(成)・危宿(27宿)・本暦皐月十九日(5月19日)・カタカムナ暦6月27日です。
三碧木性・寅・陽 開(かい)・匣(はこ):万物(植物)の種子が固い殻に覆われている状態。生命(いのち)にとって大切な意志が自我の殻を破って昇り進もうとする力。独立心、向上心、勇気。自然木:人の干渉を受けない自然体、天真爛漫さで成長する気質。
三碧木性・甲・陽 螾(みみず、のびる、うごき)、晋(しん)を表す:万物の発生発芽の意。秘蔵された潜在的な意志が一気に発動。3~5時
九紫火性 離為火・陽 清廉な感性による気品と気高さをもって大業を成す為に、若い時は良き指導者に附いて、優しさや思いやりをマスターすること。更に言えば、感情的になりやすいので、炭火のような持続性のある生き方を學ことが必要でしょう。感性、独創、情熱、直感。

陽揃い、九紫の本日に活かしたい特性
(16)飛翔:信念や情熱で、常に人格や技能を磨く。

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私は現代人の最も大きな禍はゆきつくところ、全て人間の機械化による人格の波状にあると思う。
本来人格とは知情意の渾然たる統一である。
人間の価値は知情意の円満な発達になければならない。
特に理知的な偏りは、人々を単に自然科学的法則にしたがった論理的機械のようにしている。
機械的見方とは、物を構成要素の各部分に分解し、再びそれを組み立て検証する方法である。
その為にこのような観方は分解・組み立てが自由自在に出来る機械的分野に限られるものである。
これに反して構成要素に分解し再組み立てできない生命現象人格的存在においては、この方法は決して適当な方法ではない。
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「日本精神の研究」安岡正篤先生

1924(大正13)年、100年前に書かれた本ですが、この当時のエリートの人格欠如、組織ならずその構成員が機械的に行動することの危険さを憂いていたことが伺えます。
各々の権利や我欲ばかりを模索し、全体・未来への無責任さ、目に余る行動があったのでしょう。
人間を単なる機械的な生き物としてとらえれば、そこには生産性のみの尺度が用いられれ、ロボット、現代で言えばAIの生産性が上回れれば、人間との入れ替えが起こります。

仏教や神道では、心や精神が主(あるじ)であり、主の調和の内から、真善美に沿った行動がとれるのが我々ヒトであると不肖は理解しています。
調和を失えば、寄り戻しの為の葛藤があり、その模索の中で霊魂の悲哀や歓喜があるからこそ、学び、深まり、やがて人格向上への道を開いてくれます。

We are NOT human beings having a spiritual experience; we are spiritual beings having a human experience. - Pierre Teilhard de Chardin
私たちは霊的な経験をしている人間ではなく、人間的な経験をする霊的な存在である。

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リーダーシップが発揮されるのは、人格に於いてだからである。
多くの人の規範となり、まねされるのも人格においてだからである。
人格の陶冶(とうや)が一層求められる時代が到来しています。
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ドラッガー

AIに無いものは霊格、そして真似できないものは創造、選択、そして人格でしょう。
模倣し、委ね、人格向上無き人間、所謂ゾンビや生きる屍に未来は無いと言うことでしょう。

格は、「いたる」、「きわめる」、「ただす」の意味があります。
ヒトに到り、ただし、そして極めてこそ霊的な飛躍が約束されます。

大脳新皮質を極めるは、過ぎたるが及ばざるが如しに似たり。
究めるは人格であり、そのための大脳新皮質である事を肝に銘じましょう。
Godspeed